無題
無題ってタイトルもどうかと思ったのですが、タイトルをつける気持ちにならなかったので。。。
京都教育大学(以前は某大学と言いましたが、もういいです。)の最低集団の退学見送りというのを聞いてびっくり・・・というか、この大学は何も反省してないし、事件のことを真摯に受け止める気持ちなんて、これっぽちもないのだなと思いました。もし、自分の娘や奥さんが同じ被害に遭っても、「退学させるほどのことではない」と言うのでしょうか?
それに、被害者に対する意見の中に、「次の日普通に学校行ってたんだろ?被害にあったら、無理なんじゃないのか?」「引くに引けなくなって何ヶ月もたってから告訴したんだろ?」という意見があったことです。
「普通に学校行ってた。」と言うけど、被害者はちっとも「普通」の状態なんかではなかったと思います。衝撃が大きすぎて、自分でもどう受け止めていいか分からなかったはずだし、凄く混乱していたはずです。卒論で研究したとき、被害に遭われた方の文献や意見をたくさん読みましたが、「被害にあった次の日も、普通に出勤して、何事もなかったのように仕事をこなしていた。」「何であんなに一生懸命だったのか、自分でも分からない。」そんな意見が多くありました。でも、その行動が被害者の周囲の人からは「滑稽」に感じられるんですよね。
それは、世間の人たちに「被害にあったら、つらくて悲しくて、通常通りの生活なんて送れるはずが無い」という偏見があるから。私の身近な方の中にも、犯罪被害に遭われた方がいて、事件そのものはもちろん、マスコミの過剰報道も辛かったけど、近所の人に「あんな酷いことされたのに、何で、普通に生活できるの?」と言われたことに、強い衝撃と怒りを感じたとおっしゃっていました。私も、そんなことを言う人がいるのかと驚き、そして悲しい気持ちになったのを覚えています。
「告訴」するというのは、とても勇気のいることです。思い出すのも、話すのも辛いことを、最初から最後まですべて話さなくてはいけないんです。もちろん、すぐに警察に相談にいかれる方もいます。でも、誰もがそうできるわけではありません。すぐに告訴しなかったから「狂言」だとか「本当はされてないのでは?」というのは、おかしな話です。たくさんたくさん悩んで、勇気を振り絞って、被害者の方は告訴するんです。
告訴したからといって終わりではないし、被害にあったときの記憶は一生です。偏見だって、いっぱいある。被害者はずっと背負っていかないといけないのに、加害者は、事件のことも忘れて過ごすなんて、理不尽な話ですよね。
被害者の方の苦しみが少しでも減るような世の中なるように、何でもいいから力にることが出来る人間になりたいと思います。。。
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